宴・185系虹のかけ橋・DE10-1571

宴・185系虹のかけ橋・DE10-1571

今日は真田丸の日、豊臣側の混乱が良く表現されていました。

信繁が提案した堺や大阪のお米の件は、結局、治長のプライドのせいで大失敗し、兵糧は手に入れられず。

こういう人物は矜持だけ高くて頭の回転は遅いという典型だと思います。

突き詰めれば、自分の権威を保持することだけが大事で、何が一番重要なのかはまったく理解できていなかったようですね。

秀頼は大野治長の子供だという噂もあったようですが、本当は信繁の子供なんじゃないの???

だから、信繁は大阪に参陣したのではないかと勘ぐってしまいます。

さて、ちょろちょろと毎日撮影に出てはいますが、あまり収穫はなし。

なので、今回は2日分の更新になります。

まずは、館山まで走った485系宴を撮影するため、金曜日に上総湊まで。

209系

晴れて、夕日でピカピカを狙いましたが、まったく期待にそぐわず。

日没の時間もせまり、どんよりとした感じです。

どこで撮影しようかなと港をぶらぶらしていると、人懐こいわんこが来て相手をしているうちに宴の時間。

485系宴

いつもとちょっと違う場所で撮影することになりました。

宴はよく房総を走りますが、意外とここで撮影したことはないんですね。

この日の撮影はこれで終了。

水辺は少し肌寒かったです。

土曜日は、185系の団体虹のかけ橋が走ることになっていたので、往路の返却を京葉線で。

EF210-163

時間を間違えてメモしたため、すごい早い時間に駅についてしまった・・・・

しょうがないので、そのまま待っていると、いつもはタキを連結している桃太郎が、今日はEF210-163単機で通過。

185系B2虹のかけ橋

それからしばらく待って待って・・・ようやく185系B2編成の虹のかけ橋号が通過。

本当は回送なんですが、ヘッドマークのおかげで回送表示での撮影ではなくなりました。

京葉線209系

そのあと、185系の前に蘇我行きだった209系が戻るのを待ちました。

京葉線表示ではなかったですね。

久しぶりにここで209系を撮影できましたけど。

ようやく移動できるようになったので、このまま蘇我回りで小岩へ行きます。

DE10-1571新中川橋梁

長い間、木更津常駐だったDE10-1571が新小岩操から隅田川に戻るので、この鉄橋で撮影しようと待ちました。

もうすぐ日没・・しかも曇り、条件は良くないですね。

でもDE10-1571は意外に早めに通過してくれたので良かったですけど。

DE10-1571

くるっと振り向いて築堤の上を去っていくDE10-1571も撮影。

絵面としてはこちらの方が好きです。

これですべての撮影は終了。

土曜日とはいえ、夕方の電車はとても混雑していました。

余談ですが、後藤又兵衛は関ヶ原では徳川方で参戦していた武人。

長政と折り合いが悪くなって黒田家を出奔したあと、黒田の妨害で他の大名家へ入れず、私憤で大阪の陣に参戦したという人物。

大阪の陣では信繁の作戦に徹底的に反対し、籠城を主張したのもこの又兵衛ですね。

もともと、どうするこうするは、豊臣家臣団が決めるのが本筋ですが、経験不足で戦の段取りができないし、秀頼もあまり賢くないので、ああせいこうせいとは言えなかったようです。

でも、豊臣の負けを決定させたのは、あの宇喜多の家臣だった明石、勝手に打って出て作戦を大失敗に終わらせた張本人でした。

現代から見れば、歴史というのはよくできたもので、あの大阪の陣で、その後要らなくなる人物のほとんどが淘汰されていなくなったわけです。

歴史というのは、そうやって積み重なって出来ていくものかもしれません。

それにしても、後藤又兵衛の演技は際立ってひどい・・・・