供出からの復活 上総亀山散歩

供出からの復活 上総亀山散歩

列車に乗り遅れて、2時間上総亀山駅周辺を散歩してみると、上総亀山は花が咲き乱れるきれいな場所だとわかりました。

昨年、久留里線は開業100周年を迎えましたが、久留里駅から上総亀山駅までは今年で開業77周年です。

日中戦争開戦前年の昭和11年3月25日開業でしたが、久留里線ではセレモニーとかなかったような気がしますね。

走る列車の本数も少ないし、しょうがないか・・・・・

上総亀山

それに、駅前には、かつての旅館の廃屋あったりと、ややさびしい雰囲気です。

むかしは、バス釣りなどで亀山湖に来る人も多くて、駅前もにぎわったそうですが、今は往時を偲ばせるような雰囲気はありません。

E130系

江戸時代、この亀山駅周辺の藤林は上野の国前橋藩領だったそうで、千葉のほとんどが幕府直轄地だったなかで、ちょっと異色と言えば異色ですね。

ちなみに、木更津も前橋藩領でした。

久留里線に話を戻すと、久留里線はもともと県営の軽便鉄道として開業しました。

八重桜

大正元年に木更津久留里間が開業した久留里線には、ドイツ製のコッペル機関車が走っていたそうで、当時の写真も残っていますね。

大正11年には、久留里線を大原まで繋げて木原線とする計画が国から出されて、県は久留里線を国に移管することにします。

移管する予定日は、大正12年9月1日、あの関東大震災の日でした。

関東大震災で、この辺りでも土地の隆起などがあって被害が出たそうですが、移管は無事に終わり、晴れて国鉄になったわけです。

石碑

話がちょっと外れますが、上総亀山駅から松丘方面へ歩いて行く途中で、こんな石碑を見つけました。

明治30年に、この辺りは千葉県君津郡になりましたから、その記念碑かもしれません。

しかし、この補強は・・・・もしかしたら、東日本大震災で折れた???

一体どうしたんでしょう・・・・

話を戻しますが、久留里線は、昭和11年に久留里から上総亀山間までが延長され、いざ大原へと向かうはずでしたが、その前に石尊山が立ちはだかりました。

当時の工事技術では相当な難工事になるということで、延長計画はとん挫、その間に民間の小湊鉄道が上総中野まで延長して木原線と繋がってしまいます。

上総亀山から上総中野へのルートを見ると、ちょうど465号線のルートと重なるんですね。

たしかに、七里川温泉辺りで石尊山を横断することになります。

結局、久留里線は上総亀山止まりになってしまいました。

踏切

それだけなく、昭和19年、戦争のために金属供出の憂き目にあい、久留里駅から上総亀山駅までのレールが外されてしまいました。

しかし、昭和22年に復活、多古線や宗吾線は復活できなかったのに、よかったよかった・・・

しばらく蒸気機関車が走っていた久留里線ですが、久留里には転車台がないため、久留里から木更津へは逆向きで機関車が走ったそうです。

逆走、見たかったな・・・

上総亀山散歩をする以前に、少しだけ知識があったので、ちょっと目線を変えた楽しい散歩になりました。

知識の元は、白土貞夫氏著作、崙書房刊の「ちばの鉄道一世紀」と、友人からの話です。