EF64-1001新津工臨返空と外房サイクルトレイン

EF64-1001新津工臨返空と外房サイクルトレイン

とうとう、真田昌幸が亡くなってしまいました。

あまりに簡単に人を裏切って世渡りしてきたため、家康は昌幸を全然信用せず、九度山から出さなかったんでしょう。

当時は、利益のためなら主君も変えるというのは当たり前だったようですが、戦国も終わりに近づくと、そういう行為は嫌われたのかも。

今回は、昌幸だけでなく、本多忠勝、加藤清正なども姿を消すことに。

ちょうど、この数年の間に、馴染みの武将達が実際に亡くなっています。

真田パパが、兄信之が捨てた幸の文字を使うようにと信繁に言い残していましたが、信繁が幸村と名乗った事実はないようです。

幸村という名前は、たとえば江戸時代に真田の活躍を芝居でやろうとした時、信繁という名前が使えないため、市井の人ならわかるような名前にして時代も別にして上演したという事が考えられますね。

その芝居が評判となり、信繁があたかも幸村と名乗っていたかのような錯覚が起き、そのまま後世に残ったとか。

赤穂浪士の討ち入りなども、舞台を別の時代にして、登場人物の名前も変えて上演していたそうなので、幸村の名前が芝居由来という事もあり得ます。

ともかく、正式な書状や文献には幸村という名前は登場していないということでした。

さて、土曜日は急きょEF64-1001が新津工臨の返空の担当になったというので、雨の中、小岩へ。

EF64-1001新津工臨返空

ピンチヒッターだったせいか、支度に時間がかかり、およそ30分遅れて新中川の鉄橋を通過しました。

定刻に通過してくれたら、雨は降っていなかったけれども・・・・

EF64-1001単機回送

単機回送も30分遅れ。

新津から新小岩、そこから高崎へというのは、結構ハードだと思いますね。

無事に仕事を終えて、雨のなか、EF64-1001は高崎へ帰っていきました。

次は・・・・まずは帰宅。

夕方、早朝撮れなかったサイクルトレインを撮影するために出かけました。

209系サイクルトレイン

少し霧がかかったようになった外房線。

久しぶりに601編成の209系を見ました。

外房線はこのヘッドマークだったっけ???

内房線サイクルトレインのヘッドマークには南房総と書いてなかったっけ????

外房サイクルトレイン

内房線のサイクルトレインもあるでしょうから、ヘッドマークの謎はその時に。

乗っていたみなさんは、お疲れ気味でした。

こんな雨の日は、マウンテンバイクの方が安定感がありそうですが、スピードは出ないですね。

湿度が高い日に自転車に乗るのは、かなりきつい・・・・

来年は晴れるといいです。

外房線つながりでは、日曜日の大多喜のお城祭りに本多忠勝役の藤岡弘さんがあの甲冑姿で参加されたそうで、見に行きたかったなあ・・・・・

本多宗家は、松平家の安城方の最古参の家臣筆頭、忠勝はほんとうに怖くて強かったそうです。