いすみ200型も、もうすぐ終わりですから・・・

いすみ200型も、もうすぐ終わりですから・・・

先日、交通新聞社発刊の時刻表50周年記念ヘッドマーク付きのキハ急行を、いすみ鉄道まで撮影しに行きました。

その時、ふっと思ったのは、いすみ200型の姿をほんとに見なくなったことです。

ムーミン・ラッピング列車になる前から、ずっといすみ鉄道を走り続けてきたいすみ200型も、あちこちに貰われていったりしてすっかり数が減りました。

ムーミン以前からいすみ鉄道に乗っていた人にとっては、ちょっとさびしい気もしますね。

なのはな色の列車として親しまれてきたいすみ200型。

残っているいすみ200型も、しっかり撮影してきました。

いすみ200

いすみ200型は、もともといすみ100型としていすみ鉄道に来ましたが、このときの座席はボックスシートだったらしく、これをベンチシートに改造して200型になったようです。

残念ながら、いすみ100型の頃は乗っていませんし、知りません。

でも、外観は同じなんでしょうね???

いすみ200

大多喜では、車庫前でいすみ200型が洗車されていました。

この型は列車というよりバスなので、バスのような風の吹き出し口が付いていますね。

こういうレールバスは、国鉄がJRに変わり、地方の国鉄が第三セクターになったときに、第三セクター向けに造られたもののようです。

いすみ鉄道も、旧国鉄木原線からいすみ鉄道へ変わった昭和63年に、このレールバスを導入していました。

いすみ200

旧国鉄時代の構想では、現いすみ鉄道は、久留里線と繋がって、木更津~大原間を走るはずでした。

しかし、上総亀山から外房方面への工事が難しく、あれよあれよと言っている間に、小湊鉄道が木原線に繋がってしまったので、構想は構想で終わりました。

繋がっていたら、今頃は久留里線がJRとして残されているので、いすみ鉄道もJRのままだったのかな???

もしかしたら、久留里線が第三セクターになっていたかも・・・・

いすみ200

木原線と久留里線が繋がっていたら、どのくらい生活が便利になっていたかという問題は、実際にその地域に暮らしていないと分かりません。

ただ、内房側と外房側、夷隅川水系文化圏と養老川水系文化圏とは、あまり商業的にも文化的にも交流がないそうです。

なので、もし木更津と大原が繋がっても、あんまりメリットはなかったかも・・・・

現在いすみ鉄道と上総中野で繋がっている小湊鉄道も、お客さんのほとんどは、五井~上総牛久までで、牛久から先はぐっと客数が減るそうです。

内房の人はわざわざ外房まで行かないし、外房の人もわざわざ内房まで行かなくても事足りるということでしょう。

いすみ200

そうは言っても、列車に乗って房総を横断したいときは、小湊といすみが頼りなので、このまま繋がっていてほしいです。

海~山~海と抜ける鉄道なんて、そんじょそこらにあるものではないでしょう。

これからもいすみ鉄道の発展ぶりを気にしていくつもりですが、最近いすみのショップでマイブームを見つけました。

それは、30円のぺろぺろキャンディ、あれが美味しいのだ・・・・

ずっと水気ばかり摂取しているとお腹の調子も悪くなりますが、ぺろぺろキャンディをなめると、何故か水っけが欲しくなくなるんですね。

どうしてかな??と考えていたら、遭難した時、のどの渇きを緩和するために、ボタンとか石とか、とにかく何かを口に入れてずっとなめろと聞いた事がありました。

夏場のぺろぺろキャンディは、サバイバル術だったんですね。

キャンディも欲しいし、またいすみ200型に乗りに行きましょう。