
利根川鉄橋に鹿島貨物に検測車
今のニュースは、連日甲子園か広島。
高度経済成長期以前の災害地区の航空写真もしくは地図を見ると、山はもっと大きく、裾野は広がり、山と民家との間には田圃があり、沢の出口には家はなく、民家はかなり土地を高くして建てられていたようです。
現在の地図とくらべると、まるで別の土地でしたね。
今住んでいる土地がどんなところか見極めるには、やはり高度成長期より前の地図を見るしかなさそうです。
当時、山とか、田圃とかため池だったところは、住むには適していないでしょう。
盛り土がだめだめなのは、東日本大震災でも明らかになっていたし・・・・
江戸時代も、何度か大災害に見舞われていて、大水が出たとか山津波が起こったとかという記述はそこここにあります。
そういった文献も、やはり参考にはなりますね。
売る側はただ売るのが仕事なので、ここは危ないなんて言いませんから、自分で調べるしかないようです。
さて、今日は久しぶりにロケハンも兼ねて成田、鹿島線へ遠征しました。
検測車を利根川あたりで撮影したかったし、ついでにEF65鹿島貨物も撮影できるという好立地。
でも、ロケハンなので、以前とは違う場所で撮影です。
曇っていても暑い日が続きます。
まず来たのは桃太郎、前に撮影したとき、時間だけは覚えたので、ミスすることはありませんでした。
千葉から鹿島神宮行きの直通が減ってしまったので、不便このうえないのですが、成田発鹿島神宮行きのほうが電車は空いていました。
次はEF65-2092。
ネタカマではありませんが、良しとします。
この後、検測車が成田線を通って佐原まで行き、引き返してきて鹿島線検測に向かいますが、それまで時間がものすごく空く・・・
それで、このあたりを少し歩いてみることにしました。
うろうろしていたら、検測車が成田線を走って来る時間。
ちょうどムクゲの木を見つけたので、撮影してみましたが、近すぎてイマイチでしたね。
それにムクゲも咲いていないし・・・・
この検測車が佐原から戻るまでに、利根川鉄橋が見える場所に移動です。
このあたりは北総とは言え、すでに稲刈りが終わった田圃が目につきました。
堤防沿いの田圃はほとんど稲刈りが済んでいたため、まだ稲が残る田圃を見つけました。
ちょうど手前が鹿島線、奥が成田線のY字を過ぎたあたりです。
利根水郷ラインは、幹線道路なので車が入るのは仕方ありません。
そのまま、カメラごと障害物を避けながら左へ振っていきます。
鹿島神宮へ向かう築堤の上を走る検測車。
貨物を撮影するとなると、もっと広角が必要かも・・・・
利根川のトラス橋を渡る検測車。
後追いでしたけどね、鹿島サッカースタジアムから戻るのを待っていても良かったのですが、帰りの電車との兼ね合いで後追いだけです。
これ以上は、橋が障害物となり検測車の姿がまったく見えなくなるので、撮影はここまで。
ロケハンとしてはまあまあでしたが、もっと水郷方面を探検したかったです。
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